| 修平のロシア日記 |
2005年08月24日 サンクトペテルブルグに到着して![]() |
| ここサンクトペテルブルグ到着後すぐは、諸々の手続きをしたり、領事館に行ったり、HIV検査を受けたり(※)、当面の生活に必要なものを揃えたりで、こっちの生活に慣れることだけで忙しい日々を送っていたが、到着して1週間も経つと、どうも体がしっくりこない。
兎にも角にも歩いていてホント飽きることが無い街なのだが、どんなヘトヘトになるまで歩き回っても陸の上だけだとどうも物足りない。自分の生活にカヌーが足りないことに気付くのに時間は要せず、こっちの生活に慣れることよりも先に、こっちでのクラブチーム探しを始めた。(正直なところ、現地に慣れるためには、現地の友達を作ることが一番手っ取り早く、その意味でもこっちでカヌーをすることは僕にとって何よりも必要だと考えていました。) 日本にいたときからこっちの人とメールで連絡を取り合ってはいたものの、いざこっちに来てみたら連絡がつかず、取り敢えずどこでカヌーをしているのか知らないことには何も始めることが出来ず、www.canoepolo.comに書き込むことにした。ロシアでは英語を話す人がとても少ない為、始めて間もないたどたどしいロシア語で草稿、学校の先生に添削をしてもらい、何とか文書を作成、書き込みをして待つこと数日、モスクワチームの人がペテルブルグでのクラブを紹介してくれた。(考えてみたら、僕の初めての海外遠征であるオーストラリア遠征の時も、遠征準備で向こうとやり取りをする度に学校の英語の先生に文章を見てもらい添削をしてもらっていた。そんなん繰り返してたら英語を話せるようになったんだけど、やっぱり自分の興味のあることを足掛かりに色々やるのが言語習得の早道だと思う。) 僕が入れてもらったクラブチーム(http://www.wildwater.ru/)は、市の中心部から少し離れた運河に艇庫があり、流れが無いところで普段練習をしている。基本スラロームがメインであり、運河にはちゃんとしたゲートが設置されており、練習のときは常にコーチがいて、ゲートを使っての練習をメインに、ダッシュ、ロングなど正味二時間の練習が毎日ある。 このクラブは、川でのツーリング/ラフティングをクラブ運営としてやっている為、週末は郊外の流れのある川で練習がある。サンクトペテルブルグから車で約二時間のところに川があるのだが、ペテルブルグのスラ選手は大抵週末はここに集う。(週末は常にテント生活なんだけど、週末のキャンピング生活はまた書きます。) クラブに所属する人は20代〜40代の人がメインで20人程度。競技嗜好の人だけでなく、大会には出ずに趣味の為だけにカヌーをしている人も多く、そんな人も同じ練習メニューをこなしてロングを漕いだりしていて、不思議だったりする。 肝心のポロはというと、常設のコートはなく、週に一回、仮設のゴールを設置して練習しており、ポロ艇こそクラブ所有のものが10艇あるものの、ヘルメット/ライジャケ共に付けずの練習で、カヌーポロ曙期であることが伺える。しかし、基本スラロームで鍛えられている選手達なので、大概外人特有の身体能力の高さを持っており、日本とは全く異次元のカヌーポロを楽しむことが出来る。(実際、みんなぶっとい体をしており、僕が一番細く小さいです。) しかし、ここロシアで初めてカヌーに乗り、漕げたときはとても感動したし、初めてゴールを使って3対3をしたときも、ストレッチャーが無い艇とアルミシャフトのパドルが気にならないぐらい嬉しかった。(カヌー出来る喜びを噛み締めました、ホント) こっちのクラブチームに合流して間もない頃、チームメートから8月の頭にロシア選手権があるとのことを言われた。ウズベキスタンなど海外からも参加がある大会にて、日本人の僕も出ないかとのこと。折角だから、ポロだけでなく、スラロームも出ようと言われ、二つ返事で両方とも出ると答えました。 続く ※こっちでは、長期滞在の外国人は入国後HIV検査を義務付けられており、HIV検査の結果が陽性の場合は、即刻国外退去となる。何故だか分からないんだけど、サンクトペテルブルグはHIVの感染率が高いということが言われています。 |
2005年09月05日 ロシア選手権大会![]() |
|
スラロームのカテゴリーとしては、K-1男子(70名)、K-1女子(30名)、C-1男子(30名)、C-2男子(15組30人)。それ以外に、3艇1ペアとなりスラロームをする「コマンド」なる競技があった。(通常のスラロームとコースは一緒にて、3艇同時にスタートし、3艇全てゴールした時点でのタイムを取り、3艇分のペナルティーを足し、ポイントを出すもの。ゲートは同時に通れない為、ゲート通過のタイミングをずらす必要があり、3艇のチームワークが問われる。) カヌーポロはというと、2日間の開催にて6チームの参加。5対5での競技が予定されていたが、参加選手数の理由により急遽4対4へと変更されたり、スラロームのスケジュールが優先される為タイムテーブルがコロコロ変わるなど、所謂「競技」と呼ぶには程遠いのが現状。(スラのレースがあるので選手が足りず、試合開始が延期されるというのはしばしばで、次の試合がいつあるのかも分からないというのが当たり前だった。) 現在ロシアでカヌーポロがあるのは、4つの街。モスクワ及びサンクトペテルブルグ、そしてノブゴロドとヤロスラーブリという街で何れもロシアの西側に位置している。その中でも、カヌーポロをメインでやっているのは唯一モスクワのチームのみである。 昨年の冬にオランダのチームがモスクワの大会に参加したり、また今年に入ってモスクワチームがフィンランドに遠征に行くなど、モスクワでのカヌーポロは活発だと言うことが出来る。8月にモスクワであった大会には、1部4チーム、2部6チームの計10チームの参加があり、想像していたよりこっちのカヌーポロ人口は多い。 因みにロシアにカヌーポロが入ってきたのは10年前と言われており、ロシアカヌー選手権の種目に含められたのが2年前。まだまだ曙期であることに変わりはなく、カヌーポロ委員会のような公的な組織は存在しておらず、代表チームもまだ形成されておらず、よってロシア代表チームの世界選手権及び欧州選手権への参加はまだない。 ロシア選手権を通じて感じたこととして、全体を通してとても和やかな雰囲気であったということ。ロシアno.1を決める大会にてもっとピリピリした雰囲気を想像していたが、少なくとも水の上を離れた陸の上でそういうものを感じることはほとんどなかった。開会式/閉会式もとてもフランクな形で行われ、カヌーを通じてロシア文化を垣間見ることが出来た貴重な経験となった。 また、ロシア人のスポーツに対する姿勢はもっとストイックなものを想像していたが、結果を残す一流アスリートでも気さくな人間が多く、当然練習はストイックにやっているのであろうが、それを感じさせない人当たりの良い人が多いことは正直意外であった。(大会期間中ずっとファンキーなかつらをかぶったやつがいたのだが、大会の表彰式で始めてそいつがC-1のロシア代表であることを知ってびっくり。。) また試合会場には簡易な観客席が用意され、カヌーポロも試合が始まるとどこからとなく人が集まり、応援の方も盛り上がりを見せる。特にモスクワチームとロシア第二の都市であるサンクトペテルブルグチームの試合は応援にも力が入り、カヌーポロの試合の応援に人々が盛り上がっている光景をここロシアで目にすることが出来るというのはとても感慨深かった。
スラロームの方は、実質初レースにて相当に息巻いての参加であったが、いざスタートしてみたら、ゲート不通過数知れず、何とかゴールしたものの、ゴール後肉離れかと思うほどの重度の足攣りをお越し、2本目は棄権せざるを得ず敢え無く1本のみでリタイヤ、K-1参加者68人中68位(最下位!)という結果に終わった。 足攣りの方は相当に深刻で、本業のカヌーポロも出来ないんじゃないかと思う程痛みが続いたが、ロシア製の鎮痛クリームを何度も塗り込み、何とかカヌーポロの試合に参加。僕のチームは打倒モスクワを目標に掲げ優勝を目指して臨んだが、敢え無くモスクワチームに敗退、同じペテルブルグの他のチームにも破れ、結果は6チーム中の3位。 正直大会では救世主ばりの活躍を期待されていたのだが、チームスポーツにおいて個人で出来ることには限界があり、自分としてはチームバランスを考えながら出来る限りのことをやったつもりだったが、やっぱりいかんとも出来なかったです。普段からポロの練習をしているモスクワチームに、スラの元ロシア代表が二人いるとはいえ、やっぱり付け焼刃的な練習しかしていないうちのチームが勝てる訳が無く、脆くも敗れ去りました。 でも、ロシア選手権改めて貴重な経験が出来ました。 次回以降、こっちの物価事情などカヌーとは関係ない日常生活について書きたいと思います。
|
|
2005年09月16日 苦い思い出 パスポートを携帯しているかとのこと。 ロシアでは外国人は常にパスポートを携帯することが義務付けられており、街中では時折パスポートチェックが行われている。 ちょっとの散歩のつもりで外に出た為パスポート不携帯であることを思い出したが、気付いた時には遅く、警官に言われるが儘に止まっているパトカーに乗せさせられた。車の中で一通りの尋問をされ、ポケットに入っているものを全て出せさせられ、そして持っているデジカメにいたっては、写っている写真全てを確認された。 歩いてすぐのところにパスポートがあることを説明したが、警察署もすぐのところにあるから、そこで話をしようと言う。たどたどしいロシア語で色々と話をしたが、全く取り合ってくれない。 話しをしていたら突然警察官の方から親指と人差し指をこすり合わせながら、お金を払えば釈放してやるとのことを切り出してきた。何ともあきれた話で、取り敢えず俄にロシア語が分からない振りをしていた。 困り果てていたのだが、携帯があることを思い出し、携帯で電話する許可を何とか得、ロシア人の友達に電話、友達に電話で説明をしてもらい、寸でのところで事なきを得たが、何とも苦い経験となった。 因みにここロシアでの警官の給料は日本円で2万円程度だと言われている。しかし、そんな警官が補導の度に「小遣い稼ぎ」をし、高級外車に乗っている警官が一部いるという話も聞く。 僕は基本的にロシアという国が好きである。文化・芸術・人など尊重出来るものがたくさんある。 しかし一方でこの国に尊重出来ないものがあるのも事実である。ロシアの賄賂文化の話は前々から聞いていたが、今回は何とも苦い思いをしました。
|
|
ご無沙汰です。すっかり最近日記の更新を怠っておりました。 気付けば今年も残すところ僅か。師走と言うと、東京にいた頃は忘年会続きで肝臓的に優しくない日々を送っていたのが常だったのですが、こっちでは飲み過ぎることもなく穏やかにそして健やかに年の瀬を過ごしております。 1月7日にキリストの生誕を祝うロシアでは、12月25日に何かを祝うと言う風習はほとんど無く、日本であれば11月末頃から街中がネオンで賑やかになるのが、西欧諸国よりクリスマスが遅いここロシアでは12月も中頃に入って漸く街名にクリスマス用のネオンが灯り始めるという感じです。 しかし、ペテルブルグは暗い。夏場に白夜がある分、冬場はホント日照時間が短くなる。12月中旬段階で朝9時過ぎから漸く明るくなり始め、夕方は3時過ぎから暗くなるという感じなので、最近通学時は暗闇の中での移動というのが当たり前という感じです。 朝は大抵8時頃の起床なのですが、起きるときはほとんど真っ暗闇で、今でこそ大分慣れましたが、当初は相当にげんなりしていました。クラスで授業を受けながら朝日を眺め、そしてまた夕日をも学校で見るというのもステキな経験といえばステキな経験ではあるのですが。。 寒さはと言うと、今年は暖冬ということもありそこまで寒く感じることはありません。10月末の初雪以来、11月中旬以降は毎週雪が降っているのですが、気温は大体0度くらいで推移しており、一時期‐10度まで冷え込んだのですがそこまで寒いと感じることもなくやっています。 さて、先週末(12月18日)モスクワで開催されたRussian Winter Championshipsに参加してきました。 チームは全部で9チームの参加。モスクワから5チーム、サンクトペテルブルグから2チーム、ノブゴロドから1チームの参加があった他に、アイルランド/オランダ/スウェーデンの混成チーム、そしてリトアニア(!)からもチームが来ていました。 方々からの参加があった為に、期せずして何とも国際的な大会になっていました。 海外からの混成チームは、2004年の世界選手権(@日本)及び2005年のWorld Games(@ドイツ)覇者オランダナショナルチームの一員にしてかつてロシアで留学してたRobert Aitkenが来ていた他に、長年アイルランド代表を務め1998年来の戦友(僕が一方的にそう思っているだけだけど)にしてcanoepolo.com(http://www.canoepolo.com)を運営しているMaster G、そして2002年世界選手権からちょこちょこメールをしていたスイス代表のNecklanも来ていて、ロシアで会うことを全く予想していない面々に再会することが出来たという意味で、個人的にはとても楽しかった。 今回は寝台列車を使っての移動だったのですが、大会を含めまたまた色々貴重な経験をさせてもらいました。 続く
|
|
12月24日、朝起きて久し振りにベランダに出て外を眺めていたら、フィンランド湾が凍っていることに気が付いた。 街中の運河がまだ凍り掛けなので、まさか海が凍っているということはないだろうと思い込んでいたので、相当にびっくりした。それも海上を相当遠くの方まで人が歩いていて、俄かに自分が目にしている光景が現実のものとして信じることが出来なかった。 しかし、ロシアにいると日々の季節の移ろいにとても敏感になる気がする。何よりも日照時間の変化が肌で感じられるぐらいに早いこと。こっちに来てからの半年間、日は短くなる一方だったのだが、日が短くなるのにあわせ夏の終わりを知り、秋の訪れを感じ、そして冬がやってきた。日に3分から4分くらいの速さで日照時間が変化しており、同じ夕日にしても日々太陽が落ちる時間と場所が変わる。(実際夏場と冬場では、夕日の太陽の位置が全く異なる) 冬至が過ぎ、これからは日が長くなるのだが、ペテルブルグはこれからが冬本番。どんどん明るくなっていく一方で、冷え込みは本格化し−20度、−30度の世界が待っている。 さて、Russian Winter Canoe Polo Championships、大会はプールレンタルの都合で一日限りの開催。日曜日に開催された大会参加の為に、土曜日の夜にペテルブルグを経ち、日曜日の朝にモスクワに到着し大会会場にそのまま直行、大会をこなし、その後のClosing Partyでたっぷりとビールを飲み、またまたモスクワ01:20発の終電に揺られ、月曜朝にペテルブルグに戻ってくるという強行日程での参加であった。 寝台列車はしかしなかなかに味がある。 25両編成ぐらいの長い長い車両なのだが、先ず車両に乗る前にパスポートチェックがある。ロシアでは、国内であっても長距離の電車での移動はパスポートの提示が義務付けられており、ロシア人であってもパスポートを提示しないと乗ることが出来ない。(ロシアではいまだに住居制限があり、勝手に都市間を引越しすることが許可されていない。) パスポートチェックを終え、漸く車両に乗り込むのだが、車両内の電気が付いていない為に異様に暗い。電気節約なのかよく分からないのだが、出発までのそれなりに長い間、プラットホームの光だけを頼りに、狭いコンパートメントの中で、面識のないもの同士黙って座っている。何とも、空気が重たく感じられる。。 因みに今回は一番値段の安い車両での移動だったのだが、所謂コンパートメント毎の区切りが無い車両だった。日本と同じように二段ベットが二つ向い合っており、廊下があるのだが、廊下とコンパートメントの区切りは無い。所謂林間学校の部屋がそのまま車両になったという感じである。男女の区分けは無く、ベット毎のカーテンなどもなく、女性が着替える時は他の人にお願いしてタオルで隠してもらって着替えるという感じである。 そんなんもしかし旅情があり、車両が出発して暫くするとコンパートメント内での世間話が始まる。今回のコンパートメントは、チームメートの他におばちゃんが二人、そして逆側の窓添いの二段ベットを使っていた親子連れで、ちょこちょこと話していた。 今回の移動で印象的だったのは、どこから見ても怖い人にしか見えない目つきの鋭いスキンヘッドのお兄ちゃんと話したこと。同じ車両内でそんなスキンヘッドを見かけ、最初はいっちゃっている人にしか見えなかったので相当に関わりたくないと思っていたのだが、たまたま車両間の踊り場で出くわし話し掛けられたのだが、その内容にびっくり、僕が日本人だと分かるや否や松尾芭蕉に就いて語ろうと言う。僕自身、松尾芭蕉に就いては全然詳しくないのだが、それでも覚えていることを何とか繋ぎ合わせ、つたないながら話しをしてきた。人は見かけで判断してはいけないということを、今更ながら感じた。 そんな貴重な経験をしながら、モスクワに到着。 前回記述の通り貴重な再会を果たし、ロシアではなかなか目にすることが出来ない一流のプレーを久し振りに間近で感じ、よき刺激を受けてきた。 大会の様子は下記から。 http://kayaker.ru/content/view/50/31 因みに、アイルランドのエースを長らく務めてきたStretchはイギリス人の彼女を追いかけ、現在はロンドン郊外にマイホームを購入済み。2006年にオランダで開催される世界選手権にイギリス代表入りを目指して練習中であることを欧州各国で放浪中で、この大会参加の為にスウェーデンから掛け付けた元アイルランド代表の友達が苦い顔をしながら教えてくれた。 他には、長らくカヌーポロ界の顔であったと言っても過言ではないAlan Vesseyが昨年のWorld Gamesを区切りにやはり引退したことも耳にした。1996年にうちの佐倉がイギリスに遠征に行ったときに初めて彼の名前を耳にして以来、何かと憧れの存在であったが、そんな彼が引退したという事実にカヌーポロの歴史の大きな区切りを感じずにはいられなかった。 23日の金曜日で今年の授業が全て終わり、年末年始休暇に入った。2005年も残り僅か。今年はロシアの年末年始を存分に楽しみたいと思っている。
|
| с новым годом!
謹賀新年 本年もよろしくおねがいします ロシアに来て気付けば早半年。 新しい国、新しい言葉、新しい環境、新しい生活。2005年は慌しい中に過ぎていきましたが、色々と貴重なことが経験できた1年でした。今年の夏にはペテルブルグでの1年間の学生生活を終え、また違う地に赴任する予定です。2006年は言語に止まらず更に貪欲に色々なことを吸収したいと考えています。 Сюхэи Иванага/岩永修平 |
| 作者へ感想のメールを送る→
|